青森直哉の日記ブログ

自分の日々の生活のアウトプットのためはじめました。

無気力でモラルハザードな幸せ

人の死ぬことについて

そんなに以前ほど重く受け止めなくなってきた。

年をとると皆そうなのだろうか。

 

自分の親が二人とも死んで

自分が面倒を見た形で

肉親との別れの際も

悲しさとかあまり感じなくなって

 

職場の知人が早逝しても

さして心が動かない。

 

正直、自分が死ぬことも

両親のような病死なら

なんていうことなく死んでいくのだろう。

生への執着は今は感じない。

 

木村太郎がコロナ関連で年寄りの死を経済より軽く見るような

番組のスタンスに、ひと暴れしたそうだが、

未熟というか、面白い、どんな人生送ってきたんだろうと

思ってしまう。

 

ただ、自分は知らない土地、街をブラブラしたいという

静かな欲求は40代後半から続いている。

今は自分の人生で楽しいことはそれしかない気がする。

後は、仕事で主張したりすることはあるが

惰性でしているだけだ。

 

全然不幸ではない。むしろ幸せだ。

娘の人生がうまく行けばいいなあとは感じる。

ただ、どううまくいけば良いかは

ここは、実は願望としてあるのだが

心の中に何ものかがそれを押し込めている感覚がある。

 

だから、結果としては、形にならない。

孫が見たいとか

幸せな家庭を築ければ良いというのでもない。

 

ああ、そうだ。ある。

そうか。

私は娘と一緒に事業か何かをして

世の中とやりとりしたい気は凄く感じていた。

 

潜在意識が、その準備で英会話やプログラミングを勉強しているのだろう。

 

ただ、娘が嫌だろうと思って押し込めている。

私が先に死ぬから。

でも、盤石の体制を共同事業で作れれば、

娘の幸せにも繋がるのかも知れぬ。