北杜夫と遠藤周作
自分が中学生の時
ハマって読んだ本に北杜夫の本がある。
「楡家の人々」「幽霊」が代表作と思う。
ただ、これらの本よりも「どくとるマンボウ航海記」
「青春記」「さびしい王様」などのエッセイ、童話っぽい話。
どちらもくだらないことをしているが
北杜夫は線が細く、天然
というのが世の中の扱いだった記憶があるが、
当時の自分は、北杜夫の文章や人物の方が
純粋、幼児というか、精神性が高い。
安心してハマれるという感覚があった。
逆に遠藤周作は作為的で精神性が低く感じていた。
エナジーがフローでないというか。
後年「沈黙」を読んだりして良さは理解できたが。
私は、北杜夫のドストエフスキーの悪霊のステパンのような味わい
が好きなんだと思う。
その後の読書や映画鑑賞の感受性のベースが造られていたんだろう。
その後、ドカベンの男・岩鬼、微笑三太郎を好ましく思うようになって
岩鬼の誇張が私のユーモア感覚に随分影響している。
北杜夫の前にはっまたのは、ドリトル先生やケストナーの飛ぶ教室だった。
今度少しこの辺の自分の読書と人格形成について考えてみたい気もする。