青森直哉の日記ブログ

自分の日々の生活のアウトプットのためはじめました。

ベーシックインカムと貧富と幸福の相関関係

ずっと、50年以上の人生で

世の中を見ていて

思っていることはいくつかあって

 

そのうちの一つが「金持ちが本当に幸せなんだろうか?」的な

貧富と幸不幸の相関関係の問題がある。

 

まず、飢えで苦しいというのは、不幸だと思う。

貧しくて、昼も夜も働く。これも不幸だと思う。

 

ただ、それなりの収入で、休みもちゃんとあって、

8時間労働で、楽しく暮らしていると

富豪の生活の幸福度に差が大してあるのかな。

 

という疑問がずっとあった。

 

東京であくせく働いている人と

マイルドヤンキーで仲間と楽しく生きている人

がどっちが幸せかという話は以前良く議論されていた

それに似ているかな。一定以上の収入があればそんなに変わる?

 

 

年収2000万円の人と富豪の幸福度って差があるんだろうか?

結局、それぞれ人間性の問題、価値観の問題になるんじゃないだろうか?

 

そこに、権力関係が入って、社長と雇われ人、

アメリカ南部のプランテーションの親分と黒人奴隷や小作人

というような服従関係が入るとそれは幸福度に差が出るかも知れない。

 

また、結局、富のある側は、富によって、グルメの追求とか、大豪邸など

美女を自由にするとか

自分の立場を「良きもの」とするため、

羨望や欲望の対象を無理に擦り擦りして

幸福度の差を作っているのかなとも思っていた。

 

ホリエモンがしばしば語っているが、

 

カジノでは最上階の富裕層ルームで巨額の金が動き

運営サイドはそこで儲けを出しており、

それ以外は収支的にはマイナスで、それなら、最上階だけで運営すれば良いように

思えるが、それではだめで、富裕層の自尊心を満たすためには必要ならしい。

 

ただ、それって、気持ちの問題のような気もする。

金をそれほどかけなくても楽しいことはいっぱいある気がする。

 

まとめると、金持ちと普通に人の幸福度の差が確かなものになるのは

・支配されて普通の人の自由が失われるパターン

・金持ちサイドの自己肯定のため価値観に乗っかってしまうパターン

 

そりゃ、幸福感のベースになる「快適さ」が定量的に捉えられず、

なかなか難しいけど、実は、あんまり人間の幸福って変わらないのではと

ずっと思っていた。

 

ちょっと長くなったが

YouTubeでイケハヤ大学を

見ていたら

 

ベーシックインカム

AIが人間を超えると、

人間が労働から開放され、人間は働かなくとも

一定の収入がもらえるという話の文脈で触れてていた。

 

そうすると、政府からお金をもらって食えるなら、

 

・支配されて普通の人の自由が失われるパターン

 

が崩れることとなる。

(まあ、政府には支配されていることで、不幸を感じる人もいるとは思うが、

それはレアケースとして)

 

そうすると、あとは気持ちの問題。

 

貧富と幸福の相関関係はますます崩れていくと思う。

 

また、ベーシックインカムは、世界政府や通貨発行権の議論とも重なりそう。

 

今後の世界は

AIの進展、労働問題、消費生活がセットになって

パラダイムシフトに直面するのだと思う。