青森直哉の日記ブログ

自分の日々の生活のアウトプットのためはじめました。

I have a dream.

これまでの人生を俯瞰するような

ものの見方は誰もがすると思うが、

自意識過剰な人間の傾向なのだろうか?

 

これから書くことは、

自分とってある重たい話と変化の兆しをめぐる話

10代、20代の頃から悔しい思いで反芻していたテーマでもある。

 

私が高校生の頃に漫才ブームがあって

その後、ビートたけしタモリなどが世間のムードを変えていったと

感じていたが、この頃を節目に

 

「偽善者」とは見られたくない。

という価値基準が

世の中を一気に覆っていったと思えた。

アグネスチャンを侮蔑する的な。

そのポジションをとっていれば無敵だ的な。

理想論・あるべき論が重たく感じる時代の裏返しだったのだろう。

 

ただ、自分はそのような同調圧力に過敏なタイプで

内心強く反発していた。

 

当時の自分の分析を再現すると、

アグネスチャンが息苦しいという感覚は共有する。

しかし、やはり、言葉や行動の新鮮さの問題で

 

偽善は善より悪いが、普通や悪よりは良い。

偽善は善を手垢のついた行動パターンに嵌め込んだだけの話だろう。

何もしないより良いといったものだった。

 

私より上の世代からすると、

学生運動など、理想を語る時代を通過してきて、

そうような価値観のひっくり返しが

爽快だったのかも知れないが

 

そうではない若い私からすると、

そんな商人・町人みたいな価値観押し付けてくるな

という心理だったと思う。

 

そして30年、40年近くたって今、私の観察では、

だいぶ、薄れ的きているが、

まだ、あの頃の価値観変更以来、

理想を語れない時代というのは変わってはいないと思う。

 

今日、毎日1ページずつ読んでいる「英語対訳・アメリカの歴史」は

キング牧師ロバート・ケネディの暗殺の回だった。

 

頭に定着させようと、時々、関係する事柄をググって見るのだが

公民権運動のハイライトとしての

「i have a doream」の演説に行きついた。

 

「私には夢がある」

1963年8月28日

今日私は、米国史の中で、自由を求める最も偉大なデモとして歴史に残ることになるこの集会に、皆さんと共に参加できることを嬉しく思う。

100年前、ある偉大な米国民が、奴隷解放宣言に署名した。今われわれは、その人を象徴する坐像の前に立っている。この極めて重大な布告は、容赦の ない不正義の炎に焼かれていた何百万もの黒人奴隷たちに、大きな希望の光明として訪れた。それは、捕らわれの身にあった彼らの長い夜に終止符を打つ、喜び に満ちた夜明けとして訪れたのだった。

しかし100年を経た今日、黒人は依然として自由ではない。100年を経た今日、黒人の生活は、悲しいことに依然として人種隔離の手かせと人種差別 の鎖によって縛られている。100年を経た今日、黒人は物質的繁栄という広大な海の真っ只中に浮かぶ、貧困という孤島に住んでいる。100年を経た今日、 黒人は依然として米国社会の片隅で惨めな暮らしを送り、自国にいながら、まるで亡命者のような生活を送っている。そこで私たちは今日、この恥ずべき状況を 劇的に訴えるために、ここに集まったのである。

ある意味で、われわれは、小切手を換金するためにわが国の首都に来ている。われわれの共和国の建築家たちが合衆国憲法と独立宣言に崇高な言葉を書き記した 時、彼らは、あらゆる米国民が継承することになる約束手形に署名したのである。この手形は、すべての人々は、白人と同じく黒人も、生命、自由、そして幸福 の追求という不可侵の権利を保証される、という約束だった。

今日米国が、黒人の市民に関する限り、この約束手形を不渡りにしていることは明らかである。米国はこの神聖な義務を果たす代わりに、黒人に対して不良小切手を渡した。その小切手は「残高不足」の印をつけられて戻ってきた。

だがわれわれは、正義の銀行が破産しているなどと思いたくない。この国の可能性を納めた大きな金庫が資金不足であるなどと信じたくない。だからわれ われは、この小切手を換金するために来ているのである。自由という財産と正義という保障を、請求に応じて受け取ることができるこの小切手を換金するため に、ここにやって来たのだ。われわれはまた、現在の極めて緊迫している事態を米国に思い出させるために、この神聖な場所に来ている。今は、冷却期間を置く という贅沢にふけったり、漸進主義という鎮静薬を飲んだりしている時ではない。今こそ、民主主義の約束を現実にする時である。今こそ、暗くて荒廃した人種 差別の谷から立ち上がり、日の当たる人種的正義の道へと歩む時である。今こそ、われわれの国を、人種的不正の流砂から、兄弟愛の揺るぎない岩盤の上へと引 き上げる時である。今こそ、すべての神の子たちにとって、正義を現実とする時である。

この緊急事態を見過ごせば、この国にとって致命的となるであろう。黒人たちの正当な不満に満ちたこの酷暑の夏は、自由と平等の爽快な秋が到来しない 限り、終わることがない。1963年は、終わりではなく始まりである。黒人はたまっていた鬱憤を晴らす必要があっただけだから、もうこれで満足するだろう と期待する人々は、米国が元の状態に戻ったならば、たたき起こされることになるだろう。黒人に公民権が与えられるまでは、米国には安息も平穏が訪れること はない。正義の明るい日が出現するまで、反乱の旋風はこの国の土台を揺るがし続けるだろう。

しかし私には、正義の殿堂の温かな入り口に立つ同胞たちに対して言わなければならないことがある。正当な居場所を確保する過程で、われわれは不正な 行為を犯してはならない。われわれは、敵意と憎悪の杯を干すことによって、自由への渇きをいやそうとしないようにしよう。われわれは、絶えず尊厳と規律の 高い次元での闘争を展開していかなければならない。われわれの創造的な抗議を、肉体的暴力へ堕落させてはならない。われわれは、肉体的な力に魂の力で対抗 するという荘厳な高みに、何度も繰り返し上がらなければならない。信じがたい新たな闘志が黒人社会全体を包み込んでいるが、それがすべての白人に対する不 信につながることがあってはならない。なぜなら、われわれの白人の兄弟の多くは、今日彼らがここにいることからも証明されるように、彼らの運命がわれわれ の運命と結び付いていることを認識するようになったからである。また、彼らの自由がわれわれの自由と分かち難く結びついていることを認識するようになった からである。われわれは、たった一人で歩くことはできない。

そして、歩くからには、前進あるのみということを心に誓わなければならない。引き返すことはできないのである。公民権運動に献身する人々に対して、 「あなたはいつになったら満足するのか」と聞く人たちもいる。われわれは、黒人が警察の言語に絶する恐ろしい残虐行為の犠牲者である限りは、決して満足す ることはできない。われわれは、旅に疲れた重い体を、道路沿いのモーテルや町のホテルで休めることを許されない限り、決して満足することはできない。われ われは、黒人の基本的な移動の範囲が、小さなゲットーから大きなゲットーまでである限り、満足することはできない。われわれは、われわれの子どもたちが、 「白人専用」という標識によって、人格をはぎとられ尊厳を奪われている限り、決して満足することはできない。ミシシッピ州の黒人が投票できず、ニューヨー ク州の黒人が投票に値する対象はないと考えている限り、われわれは決して満足することはできない。そうだ、決して、われわれは満足することはできないの だ。そして、正義が河水のように流れ下り、公正が力強い急流となって流れ落ちるまで、われわれは決して満足することはないだろう。

私は、今日ここに、多大な試練と苦難を乗り越えてきた人々が、あなたがたの中にいることを知らないわけではない。刑務所の狭い監房から出てきたばか りの人たちも、あなたがたの中にいる。自由を追求したために、迫害の嵐に打たれ、警察の暴力の旋風に圧倒された場所から、ここへ来た人たちもいる。あなた がたは常軌を逸した苦しみの経験を重ねた勇士である。これからも、不当な苦しみは救済されるという信念を持って活動を続けようではないか。

ミシシッピ州へ帰っていこう、アラバマ州へ帰っていこう、サウスカロライナ州へ帰っていこう、ジョージア州へ帰っていこう、ルイジアナ州へ帰ってい こう、そして北部の都市のスラム街やゲットーへ帰っていこう。きっとこの状況は変えることができるし、変わるだろうということを信じて。

絶望の谷間でもがくことをやめよう。友よ、今日私は皆さんに言っておきたい。われわれは今日も明日も困難に直面するが、それでも私には夢がある。それは、アメリカの夢に深く根ざした夢である。

私には夢がある。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「べての人間は平等に作られているということは、自明の真実であると考える」というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢である。

私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。

私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。

私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。

今日、私には夢がある。

私には夢がある。それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。

今日、私には夢がある。

私には夢がある。それは、いつの日か、あらゆる谷が高められ、あらゆる丘と山は低められ、でこぼこした所は平らにならされ、曲がった道がまっすぐにされ、そして神の栄光が啓示され、生きとし生けるものがその栄光を共に見ることになるという夢である。

これがわれわれの希望である。この信念を抱いて、私は南部へ戻って行く。この信念があれば、われわれは、絶望の山から希望の石を切り出すことができ るだろう。この信念があれば、われわれは、この国の騒然たる不協和音を、兄弟愛の美しい交響曲に変えることができるだろう。この信念があれば、われわれ は、いつの日か自由になると信じて、共に働き、共に祈り、共に闘い、共に牢獄に入り、共に自由のために立ち上がることができるだろう。

まさにその日にこそ、すべての神の子たちが、新しい意味を込めて、こう歌うことができるだろう。「わが国、それはそなたのもの。うるわしき自由の地 よ。そなたのために、私は歌う。わが父祖たちの逝きし大地よ。巡礼者の誇れる大地よ。あらゆる山々から、自由の鐘を鳴り響かせよう。」

そして、米国が偉大な国家たらんとするならば、この歌が現実とならなければならない。だからこそ、ニューハンプシャーの美しい丘の上から自由の鐘を 鳴り響かせよう。ニューヨークの雄大な山々から、自由の鐘を鳴り響かせよう。ペンシルベニアアレゲーニー山脈の高みから、自由の鐘を鳴り響かせよう。

コロラドの雪に覆われたロッキー山脈から、自由の鐘を鳴り響かせよう。カリフォルニアのなだらかで美しい山々から、自由の鐘を鳴り響かせよう。

だが、それだけではない。ジョージアのストーン・マウンテンからも、自由の鐘を鳴り響かせよう。

テネシーのルックアウト・マウンテンからも、自由の鐘を鳴り響かせよう。

ミシシッピのあらゆる丘と塚から、自由の鐘を鳴り響かせよう。そしてあらゆる山々から自由の鐘を鳴り響かせよう。

自由の鐘を鳴り響かせよう。これが実現する時、そして自由の鐘を鳴り響かせる時、すべての村やすべての集落、あらゆる州とあらゆる町から自由の鐘を 鳴り響かせる時、われわれは神の子すべてが、黒人も白人も、ユダヤ教徒ユダヤ教徒以外も、プロテスタントカトリック教徒も、共に手をとり合って、なつ かしい黒人霊歌を歌うことのできる日の到来を早めることができるだろう。「ついに自由になった!ついに自由になった!全能の神に感謝する。われわれはつい に自由になったのだ!」

 

そして、Wikipediaには

女性関係の乱れ、その盗聴テープによるFBIからの脅迫の記載もあった。

 

ニューヨーク・タイムズ2011年9月12日、1964年に行われた歴史学者アーサー・シュレジンジャーによるジャクリーン・ケネディへのインタビューの内容を公開した。それによると、彼女はFBIによって盗聴・録音されたキングの妻以外との女性関係を示す内容のテープを聴き、彼を偽善者と罵っている。また、ワシントン・ポスト記者であるボブ・ウッドワードの『ディープ・スロート 大統領を葬った男』でも、キングがホテルで不特定多数の女性と性交渉を行っている様子を盗聴していた事実を記載している。

FBIからの脅迫[編集]

また死後、1964年には、ジョン・エドガー・フーヴァー率いるFBIからの執拗な脅迫を受けていたことが分かっている。フーヴァーは、FBIが盗聴・録音したキングの妻以外との女性関係を示す内容の録音テープとともに、キングを「完全な詐欺師で世の中の荷物」「邪悪で異常な野獣」などと罵り、不倫関係について暴露すると脅しが書かれており、キングが自ら表舞台から姿を消すか、自殺に追い込むことを狙ったものとみられる。 手紙の書き出しは「汚らわしい、異常な野獣よ、よく聞け。おまえは録音されている。おまえの浮気行為、乱交ぶりは過去の過去まで録音されている。これはそのほんの見本だ」と始まり、さらに「おまえに残された道は一つだけだ。分かっているだろう」と続き、表舞台から手を引く、または自殺するよう暗に迫っている[8]

 

若い頃の私の感じ方としては、

まさに、ジャクリーンの「偽善者」という侮蔑が

まったくピンとこない訳で、

何もしない人より、乱行パーティーやっていようと

キング牧師の方が当たり前だが、尊敬できて

乱行パーティーで価値が落ちるものではない。

 

アフター・コロナの時代になって

パラダイムシフトが起きるという話にも心動かされるが

いつか抑圧された理想やあるべき論がノンポリより心理的に上位にくる

再逆転の時代が私が生きている間に来るのだろうか。 

 

 


Martin Luther King - I Have A Dream Speech - August 28, 1963